友人。
袖擦り合うも他生の縁。
友人が窮地にあって
背を向けた時に、後ろから石を投げつけるような人でいたくない。
大切な批判がただの悪口になってしまうから…。これが、違ってる人多くなりましたね…。
『寛容』とは受け入れ難いを受け入れることを示しています。
『優しさ』は血のつながりなどの縁者、内側にむけての『優しさ』を示していて
異質のもの。
前者について責任があり導くは
『父性』です。(性別は問いません)
仲間だから、利益があるから…との
条件付きの 『優しさ』が増えましたが
それは真の『優しさ』でしょうか??
本来の『優しさ』とは
受け入れ難きを受け入れる(理解する)
強さをいうのだと思います。
受け入れるために『無関心』を決め込み他者の問題にしたり、
猜疑心や無責任にも自分とは『無関係』にしたがったり…。
子どもを授かる際
関係者はみな当事者であり責任者。
母性だけではなく父性もなくては子どもが子育てしてると同じこと。
『虐待』から解放される生命が
生命を授かることの恐れから解放される
生命がこの国に増えますことを
今日は祈念いたします。