耀変天目 

ただただ楽しく愉しく

法悦

法悦にひたる 絵画がいく通りも描かれていることはご存知の方も多いはず。

 

して、その法悦とは…

 

仏の道を聞き悦びを得るという意味づけがされています

マグダラのマリアにもおとづれた 法悦なので 仏とは限定しづらいかとは

 

自我、エゴから解放される瞬間といいましょうか

 

 

アミニズム的に例えるならば

滝の水面を打つ水も音 刀を鍛える時に生じる火花 無心に遊ぶ子ども 

こういうものに 神を見出してきた流れがあります

 

さて

言葉を取り上げていうと…     「悦び」なんですよね

「喜び」や「慶び」や「歓び」との違いは…。

肉体的な実感を伴った「よろこび」であり、いわゆる 「官能」なのではないでしょうか

 

 

「悦び」とは、「交歓」しあうもの

「導いたり」「与えたり」という視点から解放されなければ

「真の喜び」は感得しえないのではないでしょうか?

 

誤解されるかもですけど… 「セクシャリティ  の解放」とはこういったことだと思ってます。

 

究極のところ、生きるヨロコビ に達すると 孤独からは解放されます

他者が云々ということではなくなります

 

 

これからの季節 「ヴェートーヴェン 交響曲 第9番」 が良いでしょうか

アンパンマンのマーチ」も 生きるよろこび を歌ってますね