ネガティヴキャンペーン
おそらくメディアにリテラシーというものを必要だと
指摘されなければ気がつくこともなかっただろうと思う。
大学生の時の講義だった。
採点がされる。
こういうやりとりの中で身につけたことは出会う情報の意味ではなくて質を感じ取ることが大切であるいうことだった。
メディアが急激に増大し拡大してきた数十年にあって
おかげ様でネガティブキャンペーンの弊害に巻き込まれることなかった。
各種メディアと良い距離感を保っていたことも大きいだろうけれど。
こうした位置から言えることは
ネガティブキャンペーンは 「格差」の原因を「不信」を手段として
あらゆる場面で文字通り負の側面を作り出す役割を果たしているということである。
その結果あらゆる社会的にネガティヴなこと
経済の停滞、治安の悪化、差別、いさかい、暴力、虐待 の温床となっているようだ。
人と人との間にある「不信」は
都合よく自分と異なる性質を少しでも持つ者を平気で切り捨てることの理由となる。
完全なる村八分であり私的制裁が可能なリンチ状態である
法が機能しない未成熟な社会状態であるといえよう。
ゴミが放置されていたら、その場所がゴミ箱になってしまうように人間の心理とは
周囲に影響されやすい性質だからだ。
ネガティブというゴミを放り込むというのは
正義心から生まれるだろうか?治安の観点からしても反効果的であるように思うのだが。
結果という実りも大切だが
内容がなく空っぽな結果が集まったとしても
それは「砂上の楼閣」であろう。
勝つために失ったものを振り返るにはちょうど良い季節になってきたように思う。
焚き火の火でも見つめながら…。