耀変天目 

ただただ楽しく愉しく

汝、姦淫するなかれ ②

マグダラのマリア

 

彼女は娼婦とも情婦とも

その謎めいた存在は キリストとの関係性において色々の憶測が広がり

芸術家たちに インスピレーションを与える存在

 

彼女の存在を

どのように解釈しようと自由であるところがまた何とも言えない奇跡を感じますが

 

歴史に名を残す ルクレチアやお市の方

同じように

様々憶測が飛び交う 女性ではありますが…

 

家父長制の世の中で

果たして 女に 選択の自由があったでしょうか?

逆らえば それはそのまま 死を意味します

 

家父長の中で 漢は 家長のみであり、その他の男は女も同義

信長のお話しを見ていくと

よくよく理解できますよね

 

さて 標題

 

マグダラのマリアの関係性に拘らなければ

ならないその心こそが姦淫したと言えるのではないのだろうかと

 

安心してください

 

神も仏もそのことの  真の罪に気づき改悛した場合 お許しくださりますから

 

12月の聖なる月に🌲🙏